2007年10月11日
●初めてのスズキミーティング~スズキの挑戦者にインタビュー~
まずは自己紹介!
初めまして。原 智美といいます。このように文章を書くのは初めてですが、いままで何度かスズキのレースやイベントなどのお手伝いをしたことがありますので、皆さんとはどこかでお会いしたことがあるかもしれません。今回は、9月8日に浜名湖ガーデンパークで開催された、スズキミーティングのレポートをさせて頂くことになりました。よろしくお願いします。
8耐で活躍された5人の挑戦者
まずは24年振りの優勝を果たし、会場で優勝報告会を行われた、ヨシムラ・スズキチームの5人にお話を伺います。
監督から総監督へ、吉村不二雄総監督
原 :チーム内での監督と総監督の立場とはどのような感じなのですか?
吉村総監督:私から言うとプレッシャーになってしまうようなことでも、加藤監督だと選手に近い立場なので、素直に話を聞いてもらいやすいんです。だから今年、チーム内の基本的なことは、全て加藤監督に任せていました。その結果もあって、チーム内で十分な信頼関係が築けたのは、勝因の一つになったと思います。
原 :24年ぶりの優勝をはたして、今のお気持ちはいかがですか?
吉村総監督:もちろんレース前からゴールするまでは、大変なプレッシャーがありました。
しかし今にして思うと、大きなトラブルも無く、案外すんなり優勝できたような気がします。来年はさらに上を狙って、ぜひワン・ツーフィニッシュを獲得したいです。
おヒゲがステキな吉村総監督でした。来年はワン・ツーフィニッシュを期待しましょう!
今回初めての監督、加藤陽平監督
原 :8耐優勝という夢はかなったわけですが、監督の次の夢はなんですか?
加藤監督:全日本選手権でチャンピオンをとることですね。その為にライダーが成長できるような環境を整えたいです。
原 :今回の8耐の勝因はなんだと思いますか?
加藤監督:いろいろ小さいことの積み重ねですが、そのなかからひとつあげると、事前テストから、スピードがあったことですね。だからこそ攻めの気持ちで頑張れました。
それから作戦というほどでは無いかもしれませんが、確実に整備をするため、あえてピット作業に時間をかけました。チーム運営では、監督というより他のチーム員と一緒の立場になって、エンジンのセッティングや組み立てもしています。吉村総監督が私を信頼して、そういうところを全面的に任せてくれたことが嬉しかったです。
チーム内の信頼関係と、妥協しないピット作業の結果、勝つことができたんですね。加藤監督は、お話の隅々にもライダー達への気遣が感じらる、とても優しいお人柄でした。
優勝No.34の秋吉耕佑選手
原 :ライダーのレース前の心境というのはどんなものなのですか?
秋吉選手:心境というのとは違うかもしれませんが、私の場合はレース前、頭の中でうまく走り8時間乗りきるレース運びのイメージ作りをしています。
原 :今年、作戦のようなものはあったのですか?
秋吉選手:作戦そのものというよりは、相手が予想していたものと、こちらの実際の作戦が違ったことの影響があったと思います。耐久レースでピットインの回数が多ければ、その分周回数が少なくなるのは当然のことですが、今年うちのチームは、周りのチームから8回ピットインする作戦だと思われていたようです。しかし実際は、最初から7回の予定でした。シミュレーションでは、8ピットだと7ピットより2周遅れる計算でしたから、逆にうちは、相手の予想よりも2周分速かったということです。
原 :今回はレース序盤からゴールまで、すっと一位をキープしましたが、ぶっちぎりは作戦だったんですか(笑)?
秋吉選手:ぶっちぎりが狙いじゃありません(笑)。まずは、その場のポジションをキープしようといった感じで走っていました。まぁ本当は、2位をもっと離してやろうと頑張っていましたけど(笑)。
原 :サーキットで監督からうけた指示はどのようなものがありましたか?
秋吉選手:ピット回数の作戦はもちろん、ピットクルー立ち位置まで細かく調整するなど、加藤監督の采配は素晴らしかったですね。ただ事前に綿密な打合せができていたので、レース当日の細かい指示はほとんどありませんでした。
現場ではいろいろな作戦やドラマがあったりするんですね。これからレース観戦する際、いろんな所に目を向けなくっちゃいけないと思いました。
4位入賞No.12の渡辺 篤選手
原 :今年の8耐を終わってみての感想を教えてください。
渡辺選手:全てが揃わないと、8耐は勝てないということですね。特にライダーとスタッフの信頼関係が重要だと感じました。今年のヨシムラ・スズキチームは、吉村総監督がチーム全体のオヤジ的存在でいてくれて、そのうえで加藤監督が実際にチームを指揮するという感じでうまくチーム全体をまとめていたと思います。
家族のような信頼関係がいい結果を出せるなんて、なんだかあたたかい感じがします。渡辺選手は、今年始めて年下のライダーと組んだそうですが、そうするとチームという家族の中では、笑顔が絶えない気さくな兄貴という感じでしょうか。
No.12の弟分?酒井大作選手
原 :今年の8耐の感想を聞かせてください。それとレースで勝つための秘訣はなんだと思いますか?
酒井選手:秘訣は日々勉強していくことしかないでしょう。今はレースを走る度に、新しいことを勉強させてもらっています。今年の8耐ではすばらしい先輩たちに助けてもらい、良い経験をさせてもらえたと思います。
先輩や周りの人に感謝の気持ちを忘れない酒井さん。努力を忘れない姿勢が素敵な方でした。私も周りの方に、日々感謝の気持ちを忘れないようにしなくっちゃ。
ヨシムラ・スズキチームの皆さんにインタビューさせて頂いて感じたのは、皆さん本当に普段から仲がよく、団結されているということです。ステージ裏でもとても和気あいあいとして、渡辺選手と酒井選手がレースでの思い出を話すなど、本当に兄弟のような雰囲気が感じられました。
やはり勝つための一番の秘訣はチームの団結力。そして攻め続けるというチャレンジスピリットなんですね。皆さん、貴重なお話をどうもありがとうございました。
スズキを世界に知らしめた挑戦者
今年は、有名なマン島TTレースがなんと100周年を迎えたそうです。スズキミーティングの会場でも、「祝!マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レース100年」を記念したトークショーや展示が行われました。その場に参加された日本人初のマン島TT優勝者である伊藤光夫さんと、マン島で行われた100周年記念イベントに伊藤さんと同行された、元世界耐久レースチャンピオンの北川圭一さんのお二人にお話を伺いました。
マン島TTレースで初の日本人優勝者 伊藤光夫さん
原 :当時、スズキが海外レースに挑戦したきっかけはなんだったのですか?
伊藤さん:あの時代は、スズキが日本国内だけのメーカから脱して、海外に進出をはじめようという時期だったからです。世界的なレースに出て、スズキの名前を知ってもらおうということですね。あの時は、マン島まで飛行機を乗り継いで34時間もかけて行きましたよ。現地についた我々を見てヨーロッパの方は、何をしに来たんだ?と思っていたようです。あんな小さいバイクでTTレースを走れるわけないと。そんな感じですから、当時の優勝は、世界にものすごい衝撃を与えたんです。
原 :日本人で初めてのことをするってすごいですね。なんだかパワーを頂けます。ところで、伊藤さんが走っていた当時のバイクと、今のバイクとは、どのようなところが違うのですか?
伊藤さん:昔の製品は何も無いところで一から作っていたというところでしょうか。そういった、昔からの研究開発の積み重ねがあって初めて、現在のいい商品が生まれているんです。今の商品開発は、CADや高度なデジタル解析を使用して作っていますが、それは昔からの積み重ねの上に、さらに新しいものを積み重ねていく作業です。昔は、積み重ねようにも何も無いので、全部を手で苦労して作っていたんですね。当時のそういった、「匠の世界」みたいなものは、今の人にも伝えていきたいと思っています。
原 :ライダーにも昔と今では違いあると思いますか?
伊藤さん:今はライダーは走らせる専門、エンジニアやメカニックは作ったり整備したりが専門で、分業化しています。しかし昔のライダーは、メカニックなど、いろんな業務も兼任していました。それと、昔はスズキの看板だけを背負って戦っていましたが、今はモータースポーツという世界が確立していますから、すこしライダーの背負っているものも違うかもしれませんね。
原 :スズキが世界的にも有名になったのは、伊藤さんたちの若い時代が基盤となっているんですね。ところでマン島で写した写真に、奥様も一緒に笑顔で写っていましたが、優勝当時も奥様のサポートがあったから頑張れたのですか?
伊藤さん:1963年に結婚し、同じ年に優勝しました。妻がいてくれて、日常生活の面で安心できたからこそ、レースでも頑張れたのだと思います。
原 :奥様とは仲がとても良いのですね。大事に思われていて奥様がうらやましいです。
奥様のお話になると、お話の端々から奥様とのあつあつぶりを感じさせてくれた伊藤光夫さんでした。しかしマン島ではサイン攻めの嵐で、伊藤さんのモテモテぶりはすごかったそうです。奥様も焼きもちを焼いていたかもしれませんね。
100年の記念レースのマン島に伊藤さんと同行された、元世界耐久チャンピオンの北川圭一さん
原 :現役を引退されて、少し時間がたちましたが、今の北川さんから見て、現役後輩ライダーになにかアドバイスしたいことはありますか?
北川さん:現役で走っているとき、特に若いときは、かうかしていたら蹴落とされるような状況でしたから、必死に走っていました。今の若い人にも、そういうハングリーさを忘れずに、ともかく若いときは必死でやってほしいですね。
原 :北川さんにとってバイクの魅力とはなんですか?
北川さん:自分の体で走って、手足のように思い通りに操れることです。四輪車にはない楽しさですね。
原 :チャンピオンに対して素人の質問で恐縮ですが、バイクでうまく走るにはどうしたらいいんでしょう?
北川さん:まずはいっぱい乗ることでしょう。使える時間は限られているわけですが、そのなかでもなんとか頑張って乗る時間を作る。そこが上達へ繋がる第一歩でしょう。
お話ししていると、「バイクに乗ることが楽しい!」という北川さん自身のお気持ちがよく伝わってきます。インタビューをしていて、私もバイクに乗りたいという気持ちがとても強くなりました。現在もレーシングアドバイザーなど色々なお仕事をされている北川さん。お忙しい中ありがとうございました。
原智美!安全運転講習会に挑戦!
19歳のとき、友達の原付を借りて乗ってみたときにちょい失敗。自動車学校で習ったことを思い出しながらアクセルを開けたら、勢いが出過ぎて転んでしまいました。そんなトラウマを乗り越えて、久々の挑戦です。
乗車の順番待ちの間中、頭の中は「また転んだらどうしよう」と不安でいっぱい。なんとか落ち着こうと、スタッフの方とお話ししながら、順番待ちをしていると、やってきました!私の順番。
講師の指導をうけて、そぉっとアクセルを開けていきます。なんとか転ばずにスタートしてコースを一周、二周。最初は怖かったものの、三周目には楽しくてしょうがなくなりました。カーブで体が斜めになる未知の感覚!?爽快感!これかぁ、みんなが楽しそうだったのは。短い時間でしたが、皆さんがバイクにはまる気持ちがよくわかりました。
凧揚げに挑戦! 浜松祭りと凧揚げ
浜松といえば有名なのは毎年5月に行われる浜松祭り、町単位で参加して、その町内で生まれた男の子の出生を祝い、男の子の名前のついた「初凧」揚げるお祭りです。約170の凧が一斉に空に舞い揚がり、お互いの凧糸を絡ませて切りあう糸切り合戦が行われます。
私も根っからの浜松祭り好きで、凧揚げ体験には大はしゃぎで参加させていただきました。浜松祭りの大凧は、縄を体に巻きつけ、体全体で凧糸を操って揚げるのです。「やいしょ、やいしょお♪」という練りの掛け声と、独特のリズムのラッパの音に、季節はずれのお祭り気分存分に味わった後はお仕事再開。祭りの主役、大凧を作る凧職人にお話を伺いました。
原 :大凧をうまく揚げる秘訣は何ですか?
凧職人豊田さん:バランスが大切ですね。凧の尻尾についている尾縄の長さと重さ、そして上糸下糸で作る糸目のバランスによって、凧合戦の勝敗が決まると言えます。浜松祭りは糸切り合戦。私達は、凧職人というより戦人だという心意気でやっています。
原 :普段も凧揚げをされるんですか?
凧職人小野さん:全国の凧揚げのイベントにも行きます。11月18日に、浜名湖のガーデンパークで行われる凧揚げイベントでも、今日揚がっているスズキの凧を揚げますよ。
スズキのイメージアップのためにも、他の凧よりも空高く舞い上がってほしいですね。お二人の意気込みが強く伝わってくるインタビューでした。
スズキミーティングを終えて、そして今後の挑戦は…
この日は偉大な挑戦者の方たちと、直接お話ができてすごく刺激になる一日でした。こだわりを持って頑張っていらっしゃる方ばかり。私もそんな生き方ができるよう、頑張ります。
今回はイベントのレポーターをさせて頂きました。これからもスズキにかかわる皆さんと一緒に、色々な方面で頑張っていきたいと思っています。
まずは24年振りの優勝を果たし、会場で優勝報告会を行われた、ヨシムラ・スズキチームの5人にお話を伺います。
監督から総監督へ、吉村不二雄総監督
原 :チーム内での監督と総監督の立場とはどのような感じなのですか?吉村総監督:私から言うとプレッシャーになってしまうようなことでも、加藤監督だと選手に近い立場なので、素直に話を聞いてもらいやすいんです。だから今年、チーム内の基本的なことは、全て加藤監督に任せていました。その結果もあって、チーム内で十分な信頼関係が築けたのは、勝因の一つになったと思います。
原 :24年ぶりの優勝をはたして、今のお気持ちはいかがですか?
吉村総監督:もちろんレース前からゴールするまでは、大変なプレッシャーがありました。
しかし今にして思うと、大きなトラブルも無く、案外すんなり優勝できたような気がします。来年はさらに上を狙って、ぜひワン・ツーフィニッシュを獲得したいです。
おヒゲがステキな吉村総監督でした。来年はワン・ツーフィニッシュを期待しましょう!
今回初めての監督、加藤陽平監督
原 :8耐優勝という夢はかなったわけですが、監督の次の夢はなんですか?加藤監督:全日本選手権でチャンピオンをとることですね。その為にライダーが成長できるような環境を整えたいです。
原 :今回の8耐の勝因はなんだと思いますか?
加藤監督:いろいろ小さいことの積み重ねですが、そのなかからひとつあげると、事前テストから、スピードがあったことですね。だからこそ攻めの気持ちで頑張れました。
それから作戦というほどでは無いかもしれませんが、確実に整備をするため、あえてピット作業に時間をかけました。チーム運営では、監督というより他のチーム員と一緒の立場になって、エンジンのセッティングや組み立てもしています。吉村総監督が私を信頼して、そういうところを全面的に任せてくれたことが嬉しかったです。
チーム内の信頼関係と、妥協しないピット作業の結果、勝つことができたんですね。加藤監督は、お話の隅々にもライダー達への気遣が感じらる、とても優しいお人柄でした。
優勝No.34の秋吉耕佑選手
原 :ライダーのレース前の心境というのはどんなものなのですか?秋吉選手:心境というのとは違うかもしれませんが、私の場合はレース前、頭の中でうまく走り8時間乗りきるレース運びのイメージ作りをしています。
原 :今年、作戦のようなものはあったのですか?
秋吉選手:作戦そのものというよりは、相手が予想していたものと、こちらの実際の作戦が違ったことの影響があったと思います。耐久レースでピットインの回数が多ければ、その分周回数が少なくなるのは当然のことですが、今年うちのチームは、周りのチームから8回ピットインする作戦だと思われていたようです。しかし実際は、最初から7回の予定でした。シミュレーションでは、8ピットだと7ピットより2周遅れる計算でしたから、逆にうちは、相手の予想よりも2周分速かったということです。
原 :今回はレース序盤からゴールまで、すっと一位をキープしましたが、ぶっちぎりは作戦だったんですか(笑)?
秋吉選手:ぶっちぎりが狙いじゃありません(笑)。まずは、その場のポジションをキープしようといった感じで走っていました。まぁ本当は、2位をもっと離してやろうと頑張っていましたけど(笑)。
原 :サーキットで監督からうけた指示はどのようなものがありましたか?
秋吉選手:ピット回数の作戦はもちろん、ピットクルー立ち位置まで細かく調整するなど、加藤監督の采配は素晴らしかったですね。ただ事前に綿密な打合せができていたので、レース当日の細かい指示はほとんどありませんでした。
現場ではいろいろな作戦やドラマがあったりするんですね。これからレース観戦する際、いろんな所に目を向けなくっちゃいけないと思いました。
4位入賞No.12の渡辺 篤選手
原 :今年の8耐を終わってみての感想を教えてください。渡辺選手:全てが揃わないと、8耐は勝てないということですね。特にライダーとスタッフの信頼関係が重要だと感じました。今年のヨシムラ・スズキチームは、吉村総監督がチーム全体のオヤジ的存在でいてくれて、そのうえで加藤監督が実際にチームを指揮するという感じでうまくチーム全体をまとめていたと思います。
家族のような信頼関係がいい結果を出せるなんて、なんだかあたたかい感じがします。渡辺選手は、今年始めて年下のライダーと組んだそうですが、そうするとチームという家族の中では、笑顔が絶えない気さくな兄貴という感じでしょうか。
No.12の弟分?酒井大作選手
原 :今年の8耐の感想を聞かせてください。それとレースで勝つための秘訣はなんだと思いますか?酒井選手:秘訣は日々勉強していくことしかないでしょう。今はレースを走る度に、新しいことを勉強させてもらっています。今年の8耐ではすばらしい先輩たちに助けてもらい、良い経験をさせてもらえたと思います。
先輩や周りの人に感謝の気持ちを忘れない酒井さん。努力を忘れない姿勢が素敵な方でした。私も周りの方に、日々感謝の気持ちを忘れないようにしなくっちゃ。
ヨシムラ・スズキチームの皆さんにインタビューさせて頂いて感じたのは、皆さん本当に普段から仲がよく、団結されているということです。ステージ裏でもとても和気あいあいとして、渡辺選手と酒井選手がレースでの思い出を話すなど、本当に兄弟のような雰囲気が感じられました。やはり勝つための一番の秘訣はチームの団結力。そして攻め続けるというチャレンジスピリットなんですね。皆さん、貴重なお話をどうもありがとうございました。
スズキを世界に知らしめた挑戦者
今年は、有名なマン島TTレースがなんと100周年を迎えたそうです。スズキミーティングの会場でも、「祝!マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レース100年」を記念したトークショーや展示が行われました。その場に参加された日本人初のマン島TT優勝者である伊藤光夫さんと、マン島で行われた100周年記念イベントに伊藤さんと同行された、元世界耐久レースチャンピオンの北川圭一さんのお二人にお話を伺いました。マン島TTレースで初の日本人優勝者 伊藤光夫さん
原 :当時、スズキが海外レースに挑戦したきっかけはなんだったのですか?伊藤さん:あの時代は、スズキが日本国内だけのメーカから脱して、海外に進出をはじめようという時期だったからです。世界的なレースに出て、スズキの名前を知ってもらおうということですね。あの時は、マン島まで飛行機を乗り継いで34時間もかけて行きましたよ。現地についた我々を見てヨーロッパの方は、何をしに来たんだ?と思っていたようです。あんな小さいバイクでTTレースを走れるわけないと。そんな感じですから、当時の優勝は、世界にものすごい衝撃を与えたんです。
原 :日本人で初めてのことをするってすごいですね。なんだかパワーを頂けます。ところで、伊藤さんが走っていた当時のバイクと、今のバイクとは、どのようなところが違うのですか?
伊藤さん:昔の製品は何も無いところで一から作っていたというところでしょうか。そういった、昔からの研究開発の積み重ねがあって初めて、現在のいい商品が生まれているんです。今の商品開発は、CADや高度なデジタル解析を使用して作っていますが、それは昔からの積み重ねの上に、さらに新しいものを積み重ねていく作業です。昔は、積み重ねようにも何も無いので、全部を手で苦労して作っていたんですね。当時のそういった、「匠の世界」みたいなものは、今の人にも伝えていきたいと思っています。
原 :ライダーにも昔と今では違いあると思いますか?
伊藤さん:今はライダーは走らせる専門、エンジニアやメカニックは作ったり整備したりが専門で、分業化しています。しかし昔のライダーは、メカニックなど、いろんな業務も兼任していました。それと、昔はスズキの看板だけを背負って戦っていましたが、今はモータースポーツという世界が確立していますから、すこしライダーの背負っているものも違うかもしれませんね。
原 :スズキが世界的にも有名になったのは、伊藤さんたちの若い時代が基盤となっているんですね。ところでマン島で写した写真に、奥様も一緒に笑顔で写っていましたが、優勝当時も奥様のサポートがあったから頑張れたのですか?伊藤さん:1963年に結婚し、同じ年に優勝しました。妻がいてくれて、日常生活の面で安心できたからこそ、レースでも頑張れたのだと思います。
原 :奥様とは仲がとても良いのですね。大事に思われていて奥様がうらやましいです。
奥様のお話になると、お話の端々から奥様とのあつあつぶりを感じさせてくれた伊藤光夫さんでした。しかしマン島ではサイン攻めの嵐で、伊藤さんのモテモテぶりはすごかったそうです。奥様も焼きもちを焼いていたかもしれませんね。
100年の記念レースのマン島に伊藤さんと同行された、元世界耐久チャンピオンの北川圭一さん
原 :現役を引退されて、少し時間がたちましたが、今の北川さんから見て、現役後輩ライダーになにかアドバイスしたいことはありますか?北川さん:現役で走っているとき、特に若いときは、かうかしていたら蹴落とされるような状況でしたから、必死に走っていました。今の若い人にも、そういうハングリーさを忘れずに、ともかく若いときは必死でやってほしいですね。
原 :北川さんにとってバイクの魅力とはなんですか?
北川さん:自分の体で走って、手足のように思い通りに操れることです。四輪車にはない楽しさですね。
原 :チャンピオンに対して素人の質問で恐縮ですが、バイクでうまく走るにはどうしたらいいんでしょう?
北川さん:まずはいっぱい乗ることでしょう。使える時間は限られているわけですが、そのなかでもなんとか頑張って乗る時間を作る。そこが上達へ繋がる第一歩でしょう。
お話ししていると、「バイクに乗ることが楽しい!」という北川さん自身のお気持ちがよく伝わってきます。インタビューをしていて、私もバイクに乗りたいという気持ちがとても強くなりました。現在もレーシングアドバイザーなど色々なお仕事をされている北川さん。お忙しい中ありがとうございました。
原智美!安全運転講習会に挑戦!
19歳のとき、友達の原付を借りて乗ってみたときにちょい失敗。自動車学校で習ったことを思い出しながらアクセルを開けたら、勢いが出過ぎて転んでしまいました。そんなトラウマを乗り越えて、久々の挑戦です。
乗車の順番待ちの間中、頭の中は「また転んだらどうしよう」と不安でいっぱい。なんとか落ち着こうと、スタッフの方とお話ししながら、順番待ちをしていると、やってきました!私の順番。講師の指導をうけて、そぉっとアクセルを開けていきます。なんとか転ばずにスタートしてコースを一周、二周。最初は怖かったものの、三周目には楽しくてしょうがなくなりました。カーブで体が斜めになる未知の感覚!?爽快感!これかぁ、みんなが楽しそうだったのは。短い時間でしたが、皆さんがバイクにはまる気持ちがよくわかりました。
凧揚げに挑戦! 浜松祭りと凧揚げ
浜松といえば有名なのは毎年5月に行われる浜松祭り、町単位で参加して、その町内で生まれた男の子の出生を祝い、男の子の名前のついた「初凧」揚げるお祭りです。約170の凧が一斉に空に舞い揚がり、お互いの凧糸を絡ませて切りあう糸切り合戦が行われます。私も根っからの浜松祭り好きで、凧揚げ体験には大はしゃぎで参加させていただきました。浜松祭りの大凧は、縄を体に巻きつけ、体全体で凧糸を操って揚げるのです。「やいしょ、やいしょお♪」という練りの掛け声と、独特のリズムのラッパの音に、季節はずれのお祭り気分存分に味わった後はお仕事再開。祭りの主役、大凧を作る凧職人にお話を伺いました。
原 :大凧をうまく揚げる秘訣は何ですか?凧職人豊田さん:バランスが大切ですね。凧の尻尾についている尾縄の長さと重さ、そして上糸下糸で作る糸目のバランスによって、凧合戦の勝敗が決まると言えます。浜松祭りは糸切り合戦。私達は、凧職人というより戦人だという心意気でやっています。
原 :普段も凧揚げをされるんですか?
凧職人小野さん:全国の凧揚げのイベントにも行きます。11月18日に、浜名湖のガーデンパークで行われる凧揚げイベントでも、今日揚がっているスズキの凧を揚げますよ。
スズキのイメージアップのためにも、他の凧よりも空高く舞い上がってほしいですね。お二人の意気込みが強く伝わってくるインタビューでした。
スズキミーティングを終えて、そして今後の挑戦は…
この日は偉大な挑戦者の方たちと、直接お話ができてすごく刺激になる一日でした。こだわりを持って頑張っていらっしゃる方ばかり。私もそんな生き方ができるよう、頑張ります。
今回はイベントのレポーターをさせて頂きました。これからもスズキにかかわる皆さんと一緒に、色々な方面で頑張っていきたいと思っています。
Posted by sp-guest at 09:20
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