2007年12月28日
●"オートボルテージュ"アエロバティックス レポート
興奮のMotoGP日本グランプリが終わって一ヶ月以上たった11月3、4日、「ツインリンクもてぎ」では、日本でここだけでしか観戦できない空を彩るもうひとつの日本グランプリ、「FAI WORLD GRAND PRIX 2007“オートボルテージュ”アエロバティックス」が開催されました。
今回の取材内容は、素晴らしいアエロバティックスのご紹介はもちろん、リノエアレースで活躍されている日本人唯一のパイロット、トニー比嘉さんとの対談です。会場に到着、お客様にインタビュー
会場には飛行機関連のグッズ販売など、たくさんの出展ブースがお客様を楽しませています。
もちろんスズキブースもありますよ。新型のハヤブサなどが展示され、注目を浴びていました。それでは会場のお客様にインタビューしてみましょう。
「いつもこいつ(ワンちゃん)と一緒にレース場でバイクや飛行機を観ています。」
とっても可愛らしいワンちゃんでした。

「スカイスポーツは大好きです。子供と二人で楽しめました。新型ハヤブサもじっくり見ることができて良かったです。」
バイクのレース観戦が好きなお母さんです。「子供たちに観戦することの楽しさを伝えることで、パイロットになる夢を持たせてあげたいですね。子供たちもパイロットになる気満々です。」
夢いっぱいのフライトショー
そろそろアエロバティックスの演技も始まるので観客席に行ってみましょう。
「ブゥゥゥゥン…!」飛行機が3次元空間を舞っていく…。横も上も後ろも奥行きも自由自在。今まで見たことの無い立体感。

観客席目前を飛行機が横切っていきます。普段見慣れた飛行機は、常にはるか上空を飛んでいますが、このときはすごく低いところを通過していきました。
全て素晴らしいフライトでしたが、特に私の心に残ったのは、ロシア人パイロット4人衆の華麗な演技。幻想的な曲が流れる中、優雅な演技を魅せてくれました。これは、低空飛行中の写真です。観客席のお客様皆が手を振って、すごい熱気でした。
トニー比嘉さんにインタビュー
アエロバティックスが空のフィギュアスケートならば、アメリカ、リノでのエアレースはいわば飛行機のF1。会場では、日本人唯一のリノエアレースパイロット、トニー比嘉さんのサイン会も行われていました。
とっても良い笑顔の比嘉さん。ファンの皆様が、こんなに行列を作るほど人気者なんです。
サイン会を終えてから、比嘉さんに苦労話など聞くことができました。
比嘉さんは、小学生で飛行機に興味を持ち、20歳のときのアメリカ旅行で、エアレースを初観戦。そのときに「いつかこの地、リノで飛びたい!」と思ったそうです。
この夢を叶えるため、日本でパイロットになる近道を探し、航空専門学校を卒業後、小さな航空会社に就職。
そして25歳からアメリカに永住。一人暮らしは寂しかったそうですが、なんとか自分の飛行機を買って、それを心の支えにしながら整備士、そしてパイロットの腕を磨きました。
そして2003年、単身渡米から23年の努力が実り、念願のエアレース参戦を果たし、現在に至っています。
原 :「比嘉さんの飛行機『タンゴタンゴ』のデザインは誰がされたんですか?それと、複葉機(二枚羽)にされたのは何故ですか?」
比嘉:「知り合いのデザイナーが考えてくれました。黄色は私の出身地である沖縄の太陽の色、緑と青は同じ沖縄の海を表現したものです。複葉機を選んだのは、軽くて頑丈に作れるからです。丸みのあるルックスは、女性やお子さんにも好まれているんですよ。」
原 :「『タンゴタンゴ』にはいつ頃から乗られているのですか?」
比嘉:「1986年に、7年落ちの中古飛行機を購入。これなら新品同様にできると思ったので、その後コツコツと自分で部品を手に入れ、 18年後の2003年に完成させました。」
原 :「機体の名前、『タンゴタンゴ』と飛行機に書かれた『31』というナンバーの由来を教えてください。」
比嘉 :「あの機体のFAA(連邦航空局)登録ナンバーがN180TTなんですが、TTは私と奥さんのイニシャルです。Tというアルファベットは無線用語でタンゴと読みますので、そこから『タンゴタンゴ』というニックネームをつけました。」
「そしてゼッケンナンバーの『31』ですが、これは1の数字が好きで、なんとか1のつく2桁の数字にしようと思ったからです。」
原 :「レースでのスピードはどのくらいですか?」
比嘉 :「地上15mの低空で、300km/h を超える戦いが繰り広げられます。今回、スズキブースに展示されていたハヤブサの最高速と一緒くらいですね。」
原 :「成功の秘訣を教えてください。」
比嘉 :「諦めないことです。過去には、飛行機が飛べなくなる大きな破損もありました。でも、トラブルの翌日には気持ちを切り替え、修理に取り掛かったんです。再び飛べるようになるまで、かなりの期間がかかりました。でも、諦めなければ成功できるんです。」
原 :「25歳からアメリカで一人暮らしをしたり、18年かけて飛行機を完成させたりと、すごい努力だと思います。比嘉さんがそこまでして、夢を諦めずに続けられたのは何故ですか? 」
比嘉 :「特別な理由はありません。どうしても、パイロットになりたかったから、単純にそれだけです。確かに苦しい時期もありました。タンゴタンゴを売ってしまおうかと思ったことだってあります。でも今までの努力を無駄にしたくなかったんです。」
原 :「今後の夢はなんですか?」
比嘉 :「FAI(航空活動を支援する国際団体)の認定レースに出ることですね。そのためには、パイロットとしての更なる技量と、私の飛行機よりも性能の良い飛行機の両方が必要なんです。まずは高性能な飛行機を手に入れて、これからも努力を続け、もっと上を目指します。」
インタビューを終えた比嘉さんは、奥様と一緒に会場をあとにしました。その後ろ姿には、比嘉さんの努力を支える奥様の温かみが感じられます。
取材の終わりに
比嘉さんの取材を終えてショー会場に戻ると、競技の表彰式が行われています。
入賞を果たしたパイロットが両手を広げ、表彰台を飛行機のように駆け上がるといった、夢いっぱいの演出で会場を沸かせていました。最後まで私たちを楽しませてくれる姿勢には脱帽です。
表彰台の上で微笑むパイロットたちを見ながら、私は彼らの素晴らしい演技を思い返していました。先程までインタビューしていた比嘉さんの笑顔と彼らの笑顔が重なります。
きっと彼らも、比嘉さんのように努力を重ね、夢を諦めなかったからこそ、今あの表彰台に立っているのでしょう。そんな思いを胸に、会場をあとにしました。
本当にステキなことを教えてもらうことができました。さて次回のレポートではどんな人達に出逢えるのでしょうか。では次回をお楽しみに。
会場には飛行機関連のグッズ販売など、たくさんの出展ブースがお客様を楽しませています。
もちろんスズキブースもありますよ。新型のハヤブサなどが展示され、注目を浴びていました。それでは会場のお客様にインタビューしてみましょう。
「いつもこいつ(ワンちゃん)と一緒にレース場でバイクや飛行機を観ています。」とっても可愛らしいワンちゃんでした。

「スカイスポーツは大好きです。子供と二人で楽しめました。新型ハヤブサもじっくり見ることができて良かったです。」
バイクのレース観戦が好きなお母さんです。「子供たちに観戦することの楽しさを伝えることで、パイロットになる夢を持たせてあげたいですね。子供たちもパイロットになる気満々です。」夢いっぱいのフライトショー
そろそろアエロバティックスの演技も始まるので観客席に行ってみましょう。
「ブゥゥゥゥン…!」飛行機が3次元空間を舞っていく…。横も上も後ろも奥行きも自由自在。今まで見たことの無い立体感。
観客席目前を飛行機が横切っていきます。普段見慣れた飛行機は、常にはるか上空を飛んでいますが、このときはすごく低いところを通過していきました。
全て素晴らしいフライトでしたが、特に私の心に残ったのは、ロシア人パイロット4人衆の華麗な演技。幻想的な曲が流れる中、優雅な演技を魅せてくれました。これは、低空飛行中の写真です。観客席のお客様皆が手を振って、すごい熱気でした。トニー比嘉さんにインタビュー
アエロバティックスが空のフィギュアスケートならば、アメリカ、リノでのエアレースはいわば飛行機のF1。会場では、日本人唯一のリノエアレースパイロット、トニー比嘉さんのサイン会も行われていました。とっても良い笑顔の比嘉さん。ファンの皆様が、こんなに行列を作るほど人気者なんです。
サイン会を終えてから、比嘉さんに苦労話など聞くことができました。
比嘉さんは、小学生で飛行機に興味を持ち、20歳のときのアメリカ旅行で、エアレースを初観戦。そのときに「いつかこの地、リノで飛びたい!」と思ったそうです。
この夢を叶えるため、日本でパイロットになる近道を探し、航空専門学校を卒業後、小さな航空会社に就職。
そして25歳からアメリカに永住。一人暮らしは寂しかったそうですが、なんとか自分の飛行機を買って、それを心の支えにしながら整備士、そしてパイロットの腕を磨きました。
そして2003年、単身渡米から23年の努力が実り、念願のエアレース参戦を果たし、現在に至っています。
原 :「比嘉さんの飛行機『タンゴタンゴ』のデザインは誰がされたんですか?それと、複葉機(二枚羽)にされたのは何故ですか?」比嘉:「知り合いのデザイナーが考えてくれました。黄色は私の出身地である沖縄の太陽の色、緑と青は同じ沖縄の海を表現したものです。複葉機を選んだのは、軽くて頑丈に作れるからです。丸みのあるルックスは、女性やお子さんにも好まれているんですよ。」
原 :「『タンゴタンゴ』にはいつ頃から乗られているのですか?」
比嘉:「1986年に、7年落ちの中古飛行機を購入。これなら新品同様にできると思ったので、その後コツコツと自分で部品を手に入れ、 18年後の2003年に完成させました。」
原 :「機体の名前、『タンゴタンゴ』と飛行機に書かれた『31』というナンバーの由来を教えてください。」比嘉 :「あの機体のFAA(連邦航空局)登録ナンバーがN180TTなんですが、TTは私と奥さんのイニシャルです。Tというアルファベットは無線用語でタンゴと読みますので、そこから『タンゴタンゴ』というニックネームをつけました。」
「そしてゼッケンナンバーの『31』ですが、これは1の数字が好きで、なんとか1のつく2桁の数字にしようと思ったからです。」
原 :「レースでのスピードはどのくらいですか?」比嘉 :「地上15mの低空で、300km/h を超える戦いが繰り広げられます。今回、スズキブースに展示されていたハヤブサの最高速と一緒くらいですね。」
原 :「成功の秘訣を教えてください。」
比嘉 :「諦めないことです。過去には、飛行機が飛べなくなる大きな破損もありました。でも、トラブルの翌日には気持ちを切り替え、修理に取り掛かったんです。再び飛べるようになるまで、かなりの期間がかかりました。でも、諦めなければ成功できるんです。」
原 :「25歳からアメリカで一人暮らしをしたり、18年かけて飛行機を完成させたりと、すごい努力だと思います。比嘉さんがそこまでして、夢を諦めずに続けられたのは何故ですか? 」
比嘉 :「特別な理由はありません。どうしても、パイロットになりたかったから、単純にそれだけです。確かに苦しい時期もありました。タンゴタンゴを売ってしまおうかと思ったことだってあります。でも今までの努力を無駄にしたくなかったんです。」
原 :「今後の夢はなんですか?」
比嘉 :「FAI(航空活動を支援する国際団体)の認定レースに出ることですね。そのためには、パイロットとしての更なる技量と、私の飛行機よりも性能の良い飛行機の両方が必要なんです。まずは高性能な飛行機を手に入れて、これからも努力を続け、もっと上を目指します。」
インタビューを終えた比嘉さんは、奥様と一緒に会場をあとにしました。その後ろ姿には、比嘉さんの努力を支える奥様の温かみが感じられます。
取材の終わりに
比嘉さんの取材を終えてショー会場に戻ると、競技の表彰式が行われています。入賞を果たしたパイロットが両手を広げ、表彰台を飛行機のように駆け上がるといった、夢いっぱいの演出で会場を沸かせていました。最後まで私たちを楽しませてくれる姿勢には脱帽です。
表彰台の上で微笑むパイロットたちを見ながら、私は彼らの素晴らしい演技を思い返していました。先程までインタビューしていた比嘉さんの笑顔と彼らの笑顔が重なります。きっと彼らも、比嘉さんのように努力を重ね、夢を諦めなかったからこそ、今あの表彰台に立っているのでしょう。そんな思いを胸に、会場をあとにしました。
本当にステキなことを教えてもらうことができました。さて次回のレポートではどんな人達に出逢えるのでしょうか。では次回をお楽しみに。
Posted by sp-guest at 14:34
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